
坂下宿(さかしたしゅく、さかしたじゅく、また坂ノ下、阪之下等の表記あり)は、東海道五十三次の48番目の宿場である。現在の地番は三重県亀山市関町坂下。
かつて難所・鈴鹿峠を控えた宿場町として賑わい、江戸中期には本陣3、脇本陣1を含め旅籠51軒、町並5町56間あり、戸数約150戸、人口500人あまりと記録される。
明治28年には関西本線が開通したが、鈴鹿峠の勾配が蒸気機関車に障害となったため路線は西寄りの柘植経由となる。地域の経済を旅人相手の商売に依存していた坂下は、交通の要所から外れることとなってしだいに衰退していった。
現在は域内を国道1号の新道が通るが、旧街道沿いは民家も少なく、平成17年の調査では戸数89軒・人口147人と過疎化が進行している。かつて繁栄した宿場町であったことを示すのは、本陣跡を示す、旧関町によるいくつかの石碑のみである。
アクセス:
亀山駅より伊勢坂下行三重交通バス終点伊勢坂下バス停下車(旧国鉄バス亀草線)
坂下宿の史跡:
・松屋本陣跡
・大竹屋本陣跡
・梅屋本陣跡
・小竹屋脇本陣跡
土山宿までの史跡・みどころ
・万人講常夜燈
この区間は東海自然歩道として道標が整備されている。
・片山神社
石碑は傾き、石段は崩れかかっていて、現在は、まるで廃墟のよう。
・芭蕉句碑
・馬の水のみ鉢
・鈴鹿峠(海抜375m)
・万人講常夜燈
重さ38トン、高さ5m44cmの自然石による巨大な常夜燈
・山中一里塚公園
「坂は照るてる鈴鹿はくもるあいの土山雨が降る」という石碑、大原道道標、鈴鹿馬子唄之碑などがある。
・蟹坂古戦場跡